1. マタイの福音書1-13章「預言と律法の成就者」
事前課題
マタイの福音書1-13章を読む。
アウトライン
1. イントロ:マタイの福音書5:17「預言と律法の成就者」
わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。
- 旧約聖書を通読した者たちにとって、マタイによる福音書は極めて違和感がない。旧約の預言者が語ったことが成就したということ、そして律法がこの方が成就されるということで、来るべきイスラエルのメシアであるということが強調されているからである。福音書は四つもあり、同じイエス・キリストの生涯を書き記しているが、それぞれ異なる視点があるために、立体的にこの方が浮き彫りにされている。マタイは、イエスが律法と預言者を成就される方、体現される方として描き、ユダヤ人の王であり、イスラエルを救う方であることが前面に出ている。
- 冒頭で「ダビデの子、アブラハムの子孫、イエス・キリストの系図」とあるように、この方がダビデの子、王メシアであることが証言されている。そして、モーセは申命記で、自分のような預言者が出てくると預言したが、まさにその方、神から教えを与えられ、そのことによって御国が臨んでいるモーセのような預言者、いや、それ以上の教師であることを教えている。それから、お生まれになった時に「神は共におられる(インマヌエル)」と証しされたように、神の子であられ、御国を受け継ぐ方であることが強調されている。①ダビデの子、②モーセのような預言者、③神の御子、である。
- マタイの福音書のもう一つの特徴は、「教え」である。説教が特徴的で、全体で5つある。それで、区切りも5つ付けることができる。
2. 1-3章:旧約聖書のつなぎであられるイエス
- 系図から始まり、ユダヤ人の王を拝むとして東方の賢者たちがやって来る。ユダの荒野でのヨハネがイエスが来るべき方であることを預言し、そしてヨハネからイエスがバプテスマを受けられ、そこで「正しいことを実現するのはふさわしい」と教えられた。天からの声で、この方が神の御子であることが証しされている。
3. 4-7章:モーセのような、いや、モーセ以上の教師
- イエスは、エジプトに幼少の頃、連れられて行った。そこから出てきた。それから、ヨルダン川でバプテスマを受けられ、さらに、40日間、荒野で誘惑を受けられる。まさに、イスラエルがモーセによって、エジプトを出て40年間荒野をさまよい、ヨルダン川を渡って行った姿を示している。モーセと同じように、イエスは神の権威あることばを宣言し、それによって神の国の訪れを宣言し、罪からの救いを与えられた。
- 主が来られたことは、エジプトで虐げられていた民から救ったモーセと同じように、悪と霊的な支配、病で縛られていた人々を解放されて、御国の到来を示された。そして、モーセがシナイ山のところで律法を授かったように、山のところに行き、説教を語られた。旧約の預言者が語ったように、砕かれた者、貧しい者が御国を受け継ぐことを語られた。ゆえに、政治的な力で解放をもたらすのではなく、むしろ敵を愛すること、良くすることによってもたらすことを教え、単純に神に信頼して生きる道を教えられた。
4. 8-10章:御国を人々の生活に現した方
- 9つのエピソード。モーセのエジプトにおける九の災いに匹敵する。(十番目は、子羊を屠る過越であるが、それはキリストの死によって成就。)病人や障害のある人々を癒やし、解放される。そして、その間に、弟子たちに対して「わたしについてきなさい」と言われるエピソードも挟まれている。主に従うことで弟子たちになって、初めて恵みの力を経験する。
- そしてご自身の働きを、12弟子を遣わされることによって広げられる。そこで、三つ目の教え、宣教における戦いを教えられた。御国が世に入って来て、摩擦が起こることを教えられる。受け入れる人もいれば、そうでない、拒む者たちもいる。
5. 11-13章:イエスに反応する人々
- イエスに従う弟子また群衆がいた。そして、ヨハネのように悩む者や、イエスの肉の家族のように距離を取っている者たちもいた。そして、イエスを真っ向から反対するパリサイ人たちがいた。
- 主は、これを天の御国の喩えで、言い表された。畑で起こることを使って、みことばに受け入れて広がり、拒む者たちもおり、終わりの日に裁かれることを語られた。
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